そゞろごと

noli me legere

四条大橋の下を加茂川が流れる

いっときはあまりのバカバカしさに古本屋に売ってしまおうと思った「洛中洛外漢詩紀行」(人文書院)。しかしこれはたぶんに私が京都を知らなさすぎることから生じた印象なのであった。最近ちょっと京都づいていて、そういう目でみればこの本も捨てたものではない。もちろん本書で扱われている江戸時代の京都などはこんにち目にしようと思っても無理なのはわかりきっている。京都といえども日本の町である以上、どうしたって変化は免れない。その変化の中で、いかにして「花ある田舎」と「近代都市」とを両立させるか、それが「文化都市」京都の永遠の課題であろう。

さて私は京都の何を知っているか、といえば、じつは何も知らないのである。何度か訪れた印象はあまりいいものではなかったし、京都出身の人々がまた私にはおそろしくつきあいにくかった。日本中さがしても京都人ほど私とそりが合わない人種もいないんじゃないか、と思ったくらいだ。そういうところからなんとなく敬遠していた京都。しかしそこに住む人間はともかくとして、ひとつの町としてみた場合、京都には他の町にはない魅力があることに最近ようやっと気づくようになった。

それはいうまでもない、政権が東に移るまで日本の都だった、その歴史性に由来する。つまり日本の歴史を知れば知るほど、京都の大きさ、重要性が痛感されるようになるのである。そして、そういった歴史的京都と現在の京都とを二重写しにする試みとして、この「洛中洛外漢詩紀行」は私には大切な一冊になりはじめている。ネット上で見られる地図(マップファン、グーグルアース、ストリートビューなど)を横目で睨みながら読めば、思わぬ発見や驚きがあって、そうこうしているうちに京都に行きたくてたまらなくなる。

寒くなる前に四条大橋の上に立って、そこから加茂川の流れを見てみたい。

まあ行ったら行ったで、昔の印象とあんまり変らんなあ、ということになるのかもしれないが。