そゞろごと

noli me legere

母の日に

ウィリアム・ブレイクの「おさなごのよろこび(Infant Joy)」はおそらく世界でもっとも簡単な言葉で書かれた名詩のひとつだろう。ここまで言葉が簡単だとかえって解釈はむつかしくなる、明白さゆえの不透明さとでもいおうか。

生後二日の赤ん坊と母との対話だが、由良君美がこれを「名付け以前の歌」と評したのはまったく適切だったと思う。

赤ん坊が"Joy is my name"という。母が"Sweet joy I call thee"という。これをたとえば平井正穂は「ジョイ(喜び)って名前がいいよ」「素的なジョイって呼んであげるわね」と訳している。訳者はここで Joy を喜びであるとともにジョイという名前でもあると解釈しているのだ。これでは名付け以前の歌ではなく名付けの歌になってしまう。

ブレイクのいう joy とは、子供のみならず自然界のあらゆるものが本来備えている(と信じられている)よろこびのことだ。それは絶対無分節の、一元的な「生きんとする意志」であって、そういう全一的な生そのもの、あらゆる個別化以前の名無し状態を指してかりに「よろこび」と呼んだまでのことなのである。

じっさいの母子の対話は、「あーあ」「よしよし」というような感じで、それだけで母子にはじゅうぶん全一的な生そのものの表現になっているのだろうけど、さすがにこれでは詩にはならない。そこでブレイクはあんなふうに簡単な言葉だけ使ってその一体感を表現したのだろう。

この詩を「名付け以前の歌」と喝破した由良君美でさえ、その翻訳では必ずしも成功していない。


<ぼく 名なし
生れて たった ふつか>
なんて よぼう?
<ぼく たのしい
よろこびが名なの>
あまい よろこび ふりますように!

かわいい よろこび!
あまい よろこび たった ふつかの!
あまい よろこび こうよぶね
あ、わらったね
うたってあげよう
あまい よろこび ふりますように!


ここではすでに赤ん坊は男の子であり、話し手は母ではなく父のように感じられる。しかしその点を除けばまずまずすぐれた訳であるといえる。


Infant Joy

'I have no name:
I am but two days old.'
What shall I call thee?
'I happy am,
Joy is my name.'
Sweet joy befall thee!

Pretty joy!
Sweet joy but two days old!
Sweet joy I call thee:
Thou dost smile,
I sing the while,
Sweet joy befall thee!


参考。youtube でみつけた朗読。