そゞろごと

noli me legere

コンソールの話

後期マラルメのソネットのひとつに「華卓子」というのが出てくる。字を見ただけでは何のことかわからないが、その点を気にしてか、訳者の鈴木信太郎はこれに「コンソール」とルビをふっている。しかし、コンソールといわれても、これまた何のことかわかる人は少ないのではないか。

私にはこのコンソールなるものが長いこと謎だったが、いまではネットの画像検索があるから、ちょっと調べただけですぐにわかってしまう。コンソールとは、一般にはコンソール・テーブルといわれるところの、ふつうのテーブルを半分に切ったような形のもので、これを壁にくっつけて置くのである。花台に使われることが多いので、華卓子(花テーブル)と訳されたものらしい。とはいうものの、この訳語はほとんど一般には広まらなかった。

ところで、この形のテーブルが出現する前に、すでにコンソールなるものはあった。それは張出し窓の下などに設置される「渦形持送り」のことだ。マラルメの詩に出てくる「コンソール」についていえば、テーブルの一種としての「華卓子」のほかに、この「渦形持送り」のイメージを重ね合さないと、おそらく詩人の意図は十全には伝わらないと思う。さらにいえば、「慰める」という意味のコンソール(コンソレ)も影を落としているのではないだろうか。もっとも、そういったイメージの積み重ねをもってしても、マラルメのコンソールは依然として謎なのだが。

こんな話をするのも、じつはこのコンソール(テーブルのほう)を買いたいと思っているからなのだが、しかしこれを買って設置することを考えると、いろいろと問題が出てきてしまうのだ。その問題を解決せずに思い切って買ってしまうというのもひとつの手だろう。買ってしまえば、あとのことはどうにでもなる。それはそうなのだが、その前にああでもない、こうでもないと悩むのも、室内装飾愛好家にとっては一興なのではないか、という気がする。

その問題というのを書いてみたい、気持の整理をかねて、後日にでも。