そゞろごと

noli me legere

2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

眠りは小さい死

眠っているのは好きだが眠りに就くのは嫌い、というのは矛盾しているだろうか。眠りに就くのが嫌いなのは、おそらく眠りが一種の「小さい死」だからではないかと思う。寝る時間をずるずると遅らせているのは、死期の近づいた老人がなおも意地汚く生にしがみ…

夢について

すばらしい夢をみたとき、だれしもこれを他人に伝えたい衝動にかられる。ところが、である。夢は原則的に他人には伝えられないのだ。夢というものは眠りという形式のなかでしか生きられない。眠りからさめたとき、夢は死ぬのである。しかし夢を近似的にもせ…

太陽を食らう月

日蝕を見たときは「おお、すごい」という感想しか出てこなかったが、あとから考えてみると、あのとき私は太陽よりも月に心を奪われていたように思う。太陽と比べればほぼ無にひとしい月が、たとえ一瞬にもせよその影で太陽を覆ってしまったのだから。また見…

神託としての詩

最近知った詩人でこれは、と思ったのがシルヴィア・プラス。およそ私が女性に期待するものといえば、丸くて白くて柔らかいなにものかなんだが、シルヴィア・プラスはそのいずれにも当てはまらない。にもかかわらずこの魅力。うーむ、困った困った。金関寿夫…

巨星墜つとも

フィッシャー=ディースカウ死す。といっても、まったくなんの感慨もわいてこない。ふーん、死んだか、くらいのもので。それは私が彼の芸術にあまり親しんでこなかったこととは無関係だ。いったい私は他人の死にはいたって冷淡なのである。人々が他人(生前…

モノとしてのココロ

せっぱつまらないとやらない、というのはせっぱつまらないとやめない、というのと同じだ。これは惰性(慣性)の法則で説明できる。物質は外力が加わらないかぎり動きださないし、動いているものは止まらない。それは物質の話でしょ、心は物質とはちがうよ、…

シュトルム詩集

いままで読む気にもならなかったシュトルム。この前さる方の導きで一括購入した角川の「世界の詩集」に入っているので読んでみたが、思いのほかいい詩を書いているのに驚いた。泉のごとく湧き出てくる詩情がいっぱいに溢れてついこぼれ落ちた、というような…

母の日に

ウィリアム・ブレイクの「おさなごのよろこび(Infant Joy)」はおそらく世界でもっとも簡単な言葉で書かれた名詩のひとつだろう。ここまで言葉が簡単だとかえって解釈はむつかしくなる、明白さゆえの不透明さとでもいおうか。生後二日の赤ん坊と母との対話…

夢の中の読書

本を読んでいる夢をときどきみる。夢のなかでも本かよ、と情けなくなるが、夢で読む本にはたいてい「驚愕の事実」が書いてある。その行に達するや、文字どおり「えええ!?」と驚いてしまうのである。けさの夢もそんな感じだった。何にそんなに驚いたのかは…

魚はさかなにあらず

小学生のころ使っていた国語の副読本に、「魚は「さかな」と読んではいけない、「うお」と読みなさい」と書いてあるのを見てふしぎに思った。それじゃあ「さかな」は漢字でどう書くのだろうか?──漢字でどう書くかって? 肴と書くんだよ。なんて答えてくれる…

レルベルグの五月の歌

飛 び 翔 る 共 感この青空のどこからともなく、 五月の息吹にのって、 あらゆるものへの共感が 薫る風のなかをわたってゆく。このよき日々に、ときとして 夢みる人や若い娘は、 かれらの魂のまっしろな歩みのうえに 目には見えない愛の昂まりを感じる。だれ…

三鳥の存在論

古今伝授の三木三鳥。これらの木や鳥を同定しようと苦心した人も多いようだが、しかしそれらがじっさいには何を指しているかはたいして重要ではないと思う。私の考えでは、三鳥は雀や目白が存在するように存在しているわけではない。存在の様態が異なるので…

古語は方言に残る、とすれば

やちほこの かみのみことや あがおほくにぬし なこそは をにいませば うちみる しまのさきざき かきみる いそのさきおちず わかくさの つまもたせらめ あはもよ めにしあれば なをきて をはなし なをきて つまはなし あやがきの ふはやがしたに むしぶすま …

鶺鴒

某駅にて。構内を歩き回っている鳩を見ながら、ふと大英博物館の前にもいっぱい鳩がいたことを思い出す。それは日本の鳩とほとんどいっしょにみえた。鳩と雀は世界じゅうに同じような品種が分布してるんじゃないかと思う。そういう意味ではインターナショナ…