そゞろごと

noli me legere

2012-01-01から1年間の記事一覧

室内装飾について

人間の生活の基本といわれる衣食住。このうち衣はほぼ完全に欧化された。食はまあ和食と洋食(中華もふくむ)が半々くらいか。米が主食である以上、完全な欧化はまず無理だろう。で、住はといえば、これが微妙なのである。オフィスがほとんど洋風なのは当然…

コンソールの話

後期マラルメのソネットのひとつに「華卓子」というのが出てくる。字を見ただけでは何のことかわからないが、その点を気にしてか、訳者の鈴木信太郎はこれに「コンソール」とルビをふっている。しかし、コンソールといわれても、これまた何のことかわかる人…

四条大橋の下を加茂川が流れる

いっときはあまりのバカバカしさに古本屋に売ってしまおうと思った「洛中洛外漢詩紀行」(人文書院)。しかしこれはたぶんに私が京都を知らなさすぎることから生じた印象なのであった。最近ちょっと京都づいていて、そういう目でみればこの本も捨てたもので…

パパはお父さん

息子には「お父さん」と呼ばせ、娘には「パパ」と呼ばせる。それが正しい日本の父親のあり方だ、と私は固く信じているのだが、どうもこの方針を堅持している家庭が少ないようなのは残念だ。息子も娘もいる父親が、片方にはお父さんと呼ばせ、片方にはパパと…

地下鉄のザジを地下鉄で読む

まあ地下鉄の中で読まないまでも、こういうものを家で机に向って読むのはどうかと思う。書を棄てずに町へ出て読むべき本だ。ちょっとがやがやした喫茶店の中ででも──作者のクノーはこの本について、「あっちへ行っては引き返し、こっちへ行っては引き返し、…

物欲の秋

物欲とは何か、と考えていると、これが不可解なものにみえてくる。というのも、こんなものは生存のために何の役にも立ちはしない。食欲や性欲とはまったく異なったものだ。じっさいこれは人間に特有な欲望であって、動物にはたえて見られない。しかも、であ…

中国という国名

石原慎太郎は中国をシナと呼んでいるそうだ。彼によれば、中国とは日本の西の方の地方をさす。これと似たようなことを呉智英もいっていた。彼らはまるで中国は中国にあらず、という詭弁を弄しているかのようだ。じつは私も中国といえばせいぜい中華民国以来…

形而上詩人、谷川俊太郎

谷川俊太郎の詩を読んでいると、どうでもいいような想念が頭に浮んでくる。たとえば──もし彼が俊太郎という名前でなくて慎太郎だったら、はたしてあのような詩人になっていただろうか。同様に、石原慎太郎がもし俊太郎という名前だったら、あのような政治家…

ジョディ・フォスター対アナ・トレント

──理想のロリータ女優はだれですか? ──「ミツバチのささやき」のアナ・トレントです。異論は認めません。 ──僕は「タクシードライバー」のジョディ・フォスターが一番だと思いますね。 ──えええ!? あんなの思いきりやらせじゃないですか。 ──そうかもしれ…

非デカルト的省察

Une seule poupée m'a sauvé de la vie infernale.とまずでたらめフランス語で呟いておいて──「われ思う、ゆえにわれ在り」という定式をもって近代哲学の鼻祖となったデカルト。しかしこういう考え方は、古今東西、ある種の人々にとっては自明のことだった。…

稲垣足穂とクトゥルー神話

足穂が昭和7年(1932年)に「新青年」に発表した「電気の敵」という小説(?)にはかなり鮮明にラヴクラフト色が出ているように思う。といっても、当時の足穂がアメリカからパルプマガジンを取り寄せて読んでいた、などというトンデモ発言をするつもり…

人形の形而上学

そういえば前に人形について何か書いたな、と思って検索してみたが、どうも当該記事は削除してしまったようで、読むことができなくなっている。ただ、ある人がブックマークしてくれていたおかげで、その一部(冒頭)だけがかろうじてウェブ上に残っていた。…

善なるもの一なるもの

辰野隆いわく、よきフランス人はよき日本人に似ている、と。しかしよきフランス人はよきアメリカ人にも似ているだろうし、よきインド人にも、よきイヌイットにも似ているだろう。つまり善人は世界各国どこでも善人なんだと思う。ことさらにいうべきことでは…

ネットオークションの魔

三連休をすべて為事でつぶされるという憂き目にあう。いや、まあ代休をとる権利を与えてくれてありがとう、と思いたいんだが、この三日はとんでもなく体力を奪われた。慣れない為事がこれほど心身にこたえるものだとは思わなかった。それだけ老化がすすんで…

由良君美の本

この前ちくま文庫で「みみずく偏書記」が出たので、このまま他の著作も文庫化されるのかな、と思っていたら、今度は平凡社ライブラリーで「椿説 泰西浪曼派文学 談義」が出た。かつて青土社から出た一連の著作のうち、真に傑作と呼べるのはこの本だけだ。そ…

小説家になりたい望み

Aさんは小説家になるのが夢なんだそうだ。ふーむ。で、どんな小説を書きたいと思ってるの? ときくと、とくに決めてないという。いろいろ話をきいてみると、どうやら書きたい小説があるわけでもなく、何を書いたらいいのかさっぱり分らないそうだ。極端にい…

いそしぎからイソシギへ

ある人のブログでイソシギなる鳥を初めて見る。なるほど、これがあの鳥か……いそしぎ、というのは私には非常に懐かしい言葉だ。映画の題で知ったのが最初だが、そのときは意味もわからず、「やすらぎ」とか「せせらぎ」とかと似たような造りの言葉だと思って…

教養主義

教養主義という近代日本独自の思想(?)があって、私などはそれに無関心ではいられない最後の世代かもしれないが、これはもしかしたら過去の一時期に出現した特殊な理念なんかではなくて、あらゆる時代のあらゆる潮流を貫いて持続するひとつの「常数」では…

精神のロンド

勤務時間の変動や社内のごたごたですっかり自分というものを見失っていたが、ここへきてようやっと本来の自分のあり方を取り戻すことができた。本来の自分のあり方、すなわち心と、精神と、魂と、肉体との中心がそれぞれぴったりと重なっている、ということ…

脳の性能

パソコンを使っている人なら一日何度かは見かけるグーグルのロゴ。しかし色鉛筆であのロゴを描けといわれて、はたして何人の人が正しく色を塗ることができるだろうか。よほど注意深く見ている人でないかぎり無理ではないかと思うが、どうだろう。しかし、で…

現代の日本に生れてよかったか

最近ときどき考えるんだけど、基本的には「よかった」と思う。それにはいろいろと理由があるんだが、そのうち少し変ったのをあげてみると、現代の日本からはさまざまなものの「終り」がよく見えるから、というのがある。この百年間にいろんなものが「終って…

落としどころ

ある人のブログを見ていたらこの言葉がでてきた。落としどころ。最近よく耳にする言葉だ。正確な意味は知らないけれども、なんとなく言わんとすることはわかる。それはやっぱり現代日本に生きている日本人だから、いやでもある程度は分ってしまう。この言葉…

閉ざされた庭

フォーレの歌曲集「閉ざされた庭」は、本来なら「仄かなる幻(アントルヴィジオン)」と名づけられるべきものだった。しかし彼はそうしなかった。なぜか。それは彼がこの「閉ざされた庭」という言葉に、自己の歌曲のもつ属性の一面を見たからに違いない。彼…

シルヴィア・プラスの詩

シルヴィア・プラスは顔でだいぶ得をしているし、その壮絶な最期は人々の注目を集めるに足る。それではその詩はどうかというと、じつに魅力的であると同時にひどく難解でもある。詩において魅力的と難解とは両立する、それどころかある意味では両者は比例関…

ナイチンゲールとウグイス

ナイチンゲールを和訳して「夜鶯」とするのはいい。しかしこれを「よるうぐいす」と読むのはどうか。たんに語感の問題かもしれないが、私はこれを「やおう」と音読みしたい。しいて和語に翻したいのなら、「夜啼鶯(よなきうぐいす)」とすればいい。いずれ…

B型の研究

インフォシーク、サービス終了か。本でいえば絶版のようなものだな。絶版本なら図書館で読めるが、消えてしまったウェブサイトはどうやって読めばいいのか。インターネットアーカイヴ? しかしこれもいまひとつ使い方がわからなかった。というわけで消えてし…

神秘説と汎神論

いかにも神秘的なものに神秘を感じる、そんなのはごくふつうの感覚であって、とくにあげつらうべきものではない。私の考える神秘家とは、たとえば野に咲いているありふれた花をみてもそこに神の摂理を感じとる人である。一滴の水に全宇宙を観ずる人である。…

眠りは小さい死

眠っているのは好きだが眠りに就くのは嫌い、というのは矛盾しているだろうか。眠りに就くのが嫌いなのは、おそらく眠りが一種の「小さい死」だからではないかと思う。寝る時間をずるずると遅らせているのは、死期の近づいた老人がなおも意地汚く生にしがみ…

夢について

すばらしい夢をみたとき、だれしもこれを他人に伝えたい衝動にかられる。ところが、である。夢は原則的に他人には伝えられないのだ。夢というものは眠りという形式のなかでしか生きられない。眠りからさめたとき、夢は死ぬのである。しかし夢を近似的にもせ…

太陽を食らう月

日蝕を見たときは「おお、すごい」という感想しか出てこなかったが、あとから考えてみると、あのとき私は太陽よりも月に心を奪われていたように思う。太陽と比べればほぼ無にひとしい月が、たとえ一瞬にもせよその影で太陽を覆ってしまったのだから。また見…