そゞろごと

noli me legere

2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧

魂の導者

偉人や天才は尊敬して仰ぎ見るけど、居住いを正して深々と頭を垂れる、なんてことはないな。かれらは普通人のちょっとばかりスケールの大きいだけのものだからね。私がひれ伏さずにいられないのは、ヘレン・ケラー、中村久子、大石順教尼といった人々だ。か…

リヒャルト・デーメル「女と世界」

デーメルの「女と世界」到着。こんなに早く届くとはね、つい先日注文したばかりなのに。さっそく目を通す、といっても鴎外式にだが(任意のページをあけてその一篇を読み、すばやく本を閉じるというあれ)。なんというか、「海潮音」をはじめて手に取ったと…

「ドイツ名詩選」のことなど

この前のブログ主の導きで知った岩波文庫の「ドイツ名詩選」。この本のいいところは、日本人による日本人のためのアンソロジーになっているところだと思う。つまるところ日本人の感性にうったえかけるドイツ詩が選ばれているということで、そういう意味では…

夜の詩人ではないかもしれないデーメル

河出書房の「世界詩人全集」にデーメルの訳詩がいくつか載っている。それらを読みながら、「夜の詩人」というエピセットはどうも私の早とちりではなかったか、という気がしてきた。ちなみにこれらの詩篇の訳者の一人は森鴎外である。鴎外という人は徹頭徹尾…

夜の詩人デーメル

ヴァン・レルベルグの名前がフォーレの歌曲のおかげで今日かろうじて命脈をたもっているとすれば、似たようなことはリヒャルト・デーメルについてもいえる。デーメルもまた「浄められた夜」をはじめとするシェーンベルクの諸作に歌詞を提供したことでからく…

大手拓次文庫のフランス語図書

原子朗氏の本に拓次の所蔵していたフランス図書の目録があって、これを見ていると彼の嗜好がなんとなくうかがえる。版元は圧倒的にメルキュール書店のものが多くて、これは拓次にかぎらず、当時フランス文学に関心をもっていた人々はほとんどこの本屋のお世…

ルイス・ブニュエル「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」

アマゾンからのおすすめでなんとなく購入。期待することもなく見たが、そんな生ぬるい鑑賞態度にふさわしい脱力した映画であった。入れ子になった悪夢の同時遍在、しかもそれをコメディのタッチで描き出すことで、ブルジョワジーの、というより暇をもてあま…

拓次と黄眠

原子朗氏のすばらしい拓次論を読み終える。400ページ近いがまったく長さを感じさせない。むしろ短すぎるくらいだ。この調子で永遠にやってくれ、と思ってしまう。拓次の詩を「エキゾチックな装いをこらした、本質的には呪文」であると断じる原氏の目に狂…

花の名前の好き嫌い

きのう「さくら」という言葉の音が好かん、というようなことを書いて、その責を「ら」の音に負わしたが、それじゃ「ばら」はどうなんだ、という疑問が浮んだ。ばら。これは花も、樹も、呼び名も、薔薇という漢字も、その音読みである「そうび(さうび)」も…

満開の桜を見ながら

寒い日がつづくので今年は桜の咲くのはもっと後かな、と思っていたら、もうすでにあちこちで満開になっている。桜というのは毎年気づかないうちに咲いて、気がつくともう散っている。人々は桜を見ながら、ただ桜を見ているのではない。そこに個々の人のさま…

「文芸ガーリッシュ」本朝篇

最近どうもガーリッシュ成分が足らないんじゃないか、と思って手に取った千野帽子氏の「文芸ガーリッシュ」。これの舶来篇はだいぶ前に読んだ。で、今回はそれの日本篇であるが、まず目次をみて驚く。ほとんどが知らない作家の知らない作品ばかりだ。知って…

拓次とレルベルグ

岩波文庫の「大手拓次詩集」読了。まいったなこの本は。私はこれを読んで、詩に対する認識を新たにした。いや、認識を新たにした、なんていう紋切型では収まらない、認識を刷新した、と正確にいうべきだ。こんなのは中学のときに読んだヴェルレーヌ詩集以来…

レルベルグの和訳と拓次の仏訳

一ヶ月間にわたる過去の亡霊との戦い。悪魔祓いはほぼ完了し、悪魔どもはあらかた召喚して瓶につめ、ソロモンの印璽で封印しておいた。中には十年以上取っ憑いている悪魔もいて、なかなか骨の折れる祓魔式だったが……悪魔というのは根絶やしにはできない。で…