そゞろごと

noli me legere

2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

死刑について思うこと

死刑の存廃。むつかしい問題だけど、たとえばリン=チなんていう身の毛もよだつような怖ろしい死刑があっても犯罪者は後を絶たなかったらしいから、抑止力としてはあまり効果はないんじゃないかと思う。死刑がなくなったからといって急に凶悪犯罪がふえるか…

饗庭篁村によるポーの紹介

日本で最初にエドガー・ポーの作品を訳出紹介したのは饗庭篁村で、明治20年11月に「黒猫」を、12月に「モルグ街の殺人」を、翌21年1月に「眼鏡」を、それぞれ読売新聞紙上に発表している。今回それのファクシミリを見て、その紹介の見事なのに感心…

岩波文庫の大手拓次詩集

昼休みに会社の近くの古本屋へ行ったら岩波文庫の大手拓次詩集があった。大手拓次、そういえばこの前日記で言及したな、と思いながらその本を手にとってぱらぱらと読んでみて驚いた。これは……私はこれまで思潮社の現代詩文庫で拓次の詩に親しんできたのだが…

大手拓次のこと

ヴァン・レルベルグに近い資質をもった日本の詩人となると、大手拓次になるだろうか。頃日戦後の名詩を集めたアンソロジーを読んで、口語自由詩というジャンルではいまだに拓次を超える人はあらわれていないという確信をもった。こと口語自由詩にかぎってい…

散歩者と遊歩者

ルソーに「孤独な散歩者の夢想」という題の本があるが、孤独な夢想家だから散歩するのか、散歩するから孤独な夢想家になるのか、よくわからないところがある。散歩で有名なのは、あとカントだろうか。彼を孤独な夢想家と呼ぶのは妥当でないかもしれないが、…

シャルル・ヴァン・レルベルグについて

Forvo というサイトがあって、ちょっとした発音を調べるのに便利なんだが、ここで Charles van Lerberghe の発音を調べてみると、フラマン語ではまだ上ってなくて、オランダ人が発音したものだけあった。それによると、チャールス・フォン・レアベアヘみたい…

不条理としての死

萩原朔太郎だったか、旅行好きの人の気が知れない、旅行なんて帰ってから何年かすればくすんだ思い出しか残らないじゃないか、ばかばかしい、というようなことを言っていた。たしかにそれはそうなんだけど、旅行にかぎらずすべてのことは後になったらたんな…

高野聖は世界的な名作か?

黄眠道人がその漱石論の中で泉鏡花の「高野聖」に言及して、これがもしフランス語かドイツ語で書かれていたら世界的な古典になっていただろう、というようなことを書いている。うーん、そんなにすごい小説だったか、高野聖。また同じ論稿中で鏡花の「歌行燈…

苦悩山の梨

今日も歯の治療。今回の虫歯は長らく放置していたために治療が長引いている。いつもなら二回の通院で治ってしまうのだが。歯の治療なんて楽しいわけはないが、それでも何度か通院していると、ベッドに横になって口をカハーと開けて先生に歯をいじくってもら…

東西日記文学の両雄、ではなくて両雌

夏黄眠が樋口一葉の日記を褒めている。めったに他人を褒めないこの人がベタ褒めに褒めている。そこまでいわれたら読まずにはいられない。そこでネット古書で樋口一葉全集なるものを買ってみたが、着いた本をみてがっかりした。全集と銘打ちながら小説しか入…

言葉のパラドックス

自分の好きなものについて語れば語るほど、当のそのものの魅力が薄れていく、という体験をしたことがないだろうか。私はある、大いにある。そしてその理由もほぼ分っている。これは無限定なものを限定しようとするからだ。魅力というのは本来捉えどころのな…

ネルヴァル「火の娘」

ネルヴァルは私が最初に親しんだフランス作家だった。フランス語を習いだしてしばらくしたころ、ポッシュ版の作品集を二冊買って読んだのがその初めだが、そのときはほとんどわけもわからず、ただネルヴァルのフランス語がすばらしく格調高いこと、物語の進…