そゞろごと

noli me legere

2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

鴎外の一葉評

鴎外という人は渋い小説ばかり書いている印象があるが、本質的にはロマンチケルだったと思う。たとえばこんな一文がある。「恋愛小説を非とする論者に言う。いずれの世、いずれの国の書にてもよけれど、恋愛を度外に置きたる好小説あらば、作者の模範として…

二月二十二日は猫の日

父の遺した手帖の二月二十二日のところに「今日はにゃんにゃんにゃんとて猫の日なり、云々」という文があって、あの犬好きの父がこんなことを書くとは珍しいな、と思った。じっさい父は「猫なんぞクソの役にもたたん」とつねづね言っていて、うちで飼ってい…

仏訳「たけくらべ」

ヒグチ・イチヨーの「だれがいちばん大きい?」読了。最初のほうはまるでコクトーの「怖るべき子供たち」みたいで、日本人の餓鬼もなかなかやりおるわい、と思いながら読んでいた。しかしミドリとかサンゴローとかシンニョとかいう表記の味気なさには参った…

捨てる

上司が胃癌の宣告を下されたとのこと。彼は私より六歳の年長だから、私もあと六年生きられるかどうか怪しくなってきた。こうなるといよいよ日々の暮しを見つめなおさなければならない。そして無駄な努力はどうせ無駄なんだから、つまり十年後、二十年後によ…

尼さんの罰当りな言葉の正体

スターンの「トリストラム・シャンディ」第七巻第二十五章に、動かなくなった驢馬をけしかけるため、アンドゥイエの尼さん二人が「罪深い」言葉を 交 互 に 発する場面がある。罪深い言葉でも、半分だけなら言っても罪にはなるまい、というわけで、一人が「…

日本文学のフランス語訳

ふと思い立って明治大正文学の仏訳本を何冊か買った。森有正の訳した芥川の「羅生門」、エリザベス・スエツグ(末次?)の訳した漱石の「永日小品」、アンドレ・ジェモンの訳した一葉の「たけくらべ」だが、羅生門はいいとして、漱石のは「春の小話」、一葉…

大倉桃郎「琵琶歌」

「明治家庭小説集」の四つめにして最後のものだが、どうも感想を書きにくい。これは出来損なった社会小説ともいうべきもので、家庭小説という枠に収まりきるものではない。一種のアウトサイダー小説、匪賊小説としても読めるだろう。巻末の解説に「島崎藤村…

田口掬汀「女夫波」

「明治家庭小説集」の三つめ。さすがにこんな小説をいまどき読む人は少ないようで、検索しても古書として(つまりオブジェとして)取り扱ったものしかヒットしない。私としてもまともな論評をするつもりはなく、いつもどおりの軽めの感想でお茶を濁そう。こ…

Beauté en laideur, laideur en beauté...

所用で某スポーツクラブを訪れたが、予想とは打って変って、客は男女とも高齢者ばかりである。宣伝のポスターにあるような青年男女の姿はどこにも見えない。それも考えてみれば当り前の話で、平日の昼間からこんなところに出入りできるのは為事をしていない…

菊池幽芳「乳姉妹」

「家庭小説集」所収四篇のうちの二つめ。これはすばらしい小説。先が読めそうでなかなか読めず、しかも終ってみればすべてはその落ち着くべきところに落ち着いて、読み手は涙とともに快いカタルシスを得る。娯楽読物としては第一級のものだと思った。こうい…

草村北星「浜子」

心が弱くなっている。どのくらいかといえば、ベト9の合唱を聴いて涙ぐむくらいに。かつてはあれほどバカにしていた第九なのに……それでもって「浜子」(明治35年)である。これは草村北星という今では知る人もなさそうな作家の書いた小説で、明治家庭小説集…