そゞろごと

noli me legere

ナイチンゲールとウグイス

ナイチンゲールを和訳して「夜鶯」とするのはいい。しかしこれを「よるうぐいす」と読むのはどうか。たんに語感の問題かもしれないが、私はこれを「やおう」と音読みしたい。しいて和語に翻したいのなら、「夜啼鶯(よなきうぐいす)」とすればいい。

いずれにしてもナイチンゲールとウグイスとはまったく別の鳥で、鳴き声を愛でられるところを除いたら似たところはほとんどない。しかもその鳴き声すら似ているとはいえないのだ。

さて古来西洋の詩人に愛されてきたナイチンゲールだが、その鳴き声を耳にした日本人はあまりいなかったように思う。いまでこそネットその他でいくらでも聴くことができるが、明治大正の昔に、たとえばキーツの詩を愛読した人々の耳にはナイチンゲールの声はウグイスの声として脳内で再生されていたのではないか。

私だってご多分にもれない。ナイチンゲールのじっさいの鳴き声を聴いたのはごく最近のことなのだから。それまでは、たとえばドビュッシーの「ひそやかに」の冒頭のピアノ伴奏によってなんとなくナイチンゲールの鳴き声を推し量るほかなかった。

ちなみにナイチンゲールの英語での鳴き声は jug-jug である。

次にあげるのはマリオ・ベッティーニという人のオノマトペ詩。

Quitó, quitó, quitó, quitó,
quitó, quitó, quitó, quitó,
zízízízízízízízí
quoror tiú zquá pipiquè.

クィトークィトークィトークィトー
クィトークィトークィトークィトー
チチチチチチチチ
クォロルチウーツクァーピピクェー

最後の一行に苦心のあとがしのばれますな。

シナの黄鳥、西洋のナイチンゲール、日本のウグイス。この三つの鳥は微妙に同一視されながら詩的 AVIFAUNA をかたちづくっている。