そゞろごと

noli me legere

「情報」の語源

野上素一訳の「デカメロン」には「情報」という言葉が何箇所かで使われている。これが私にはすんなりと飲み込めなかった。「デカメロン」は十四世紀に書かれた、いうなれば昔話である。その中に「情報」なんていう近代的(現代的?)な言葉が出てくれば、だれだってちょっと面食らうのではないか。前後を考えれば「報知」もしくは「報せ」でもよさそうなものだが、なんでわざわざ「情報」なんていう字を使ったのだろうか。

いまでは「情報」はインフォメーションの訳語としてほぼ定着しているが、私は日本語で書かれた古い本(だいたい戦前くらいまで)に「情報」なる字の出てきた例をひとつとして挙げることができない。もちろんインフォメーションもしくはインフォームという言葉は昔からあっただろうし、一般人がふつうに使う言葉でもあっただろうが、それに該当する日本語ということになると、やはり「告げる」とか「報せる」くらいしか思い浮ばないし、たいていの場合はそれで十分だともいえた。そう、科学技術の進歩とともに「情報理論」なるものが世に出てくるまでは。

というわけで、ふしぎに思って調べてみると、やはり似たような疑問をもつ人はいるらしく、検索したらあっさりと語源が見つかった。結論からいえば、これはもともと「敵情の報知」の略語として、おもに軍事関係で使われていた言葉のようだ(初出は1876年すなわち明治9年)。それを一般的に拡張して今日の「情報」の意味をもたせたのは関英男という人で、1954年すなわち昭和29年のことらしい(彼の「情報理論」は1956年に出ている)。

ところで野上訳の「デカメロン」は昭和23年から昭和34年にかけて出ている。作品の分量を考えれば、昭和30年くらいにおおよそのところはできあがっていたと思われる。となると、関英男がインフォメーションの訳語として「情報」を使い出した直後、すなわち日本人一般にはまだ「情報」なる言葉が耳遠かった時代に、野上はいちはやく何かの訳語として「情報」なる字を使っていることになる。そんなことがあるだろうか。

私が思うのに、「情報」を今日的な意味合いで使ったのは関が初めてではなくて、この言葉はそれ以前から徐々に、なんらかのかたちで一般に浸透していたのだろう。そういう情勢を踏まえた上で、関はインフォメーション・セオリーの訳語として遅疑なく「情報理論」を提出したのではないか。

そのことを実証するには、昭和29年までに出た新聞や雑誌を片っ端から調べてみればいい。だれか物好きな人がやってくれることを望む。