そゞろごと

noli me legere

捨てる

上司が胃癌の宣告を下されたとのこと。彼は私より六歳の年長だから、私もあと六年生きられるかどうか怪しくなってきた。こうなるといよいよ日々の暮しを見つめなおさなければならない。そして無駄な努力はどうせ無駄なんだから、つまり十年後、二十年後にようやっと成果が得られるような努力はしても無駄なんだから、そういう方面はばっさりと切り捨てることが肝要なんじゃないかと思うようになった。

たとえばドイツ語の勉強。これはいままでさんざんやっていてほとんど成果があがっていない。今後継続してもおそらく事情は同じだろう。とすれば、ここらで見切りをつけるほうが賢くはないか。ホフマンスタールには心残りがあるが、なに、翻訳で読めばいい。おそらく彼ほどの審美家のものならば、翻訳にもしかるべき人があたっているだろう。

ここで私は可能性のひとつを捨てた。

捨ててみると、これほど楽なことはない。もともとだれに強制されたわけでもなく、すすんで己に課したディシプリンではあったが、いったんディシプリンとなった以上はそれ自体が強制力をもって機能することになる。これが精神に根をはってしまえば、それは肉体に生じたおできとなんら変りはない。そういう厄介ものを剔抉して排除するわけだ、気分がいいのは当然のことだろう。

こうやって長年の間懸案になっていたことどもを一つ一つ捨てていって、死ぬときには無一物の状態で死にたい。あと六年のあいだに、どれだけのものを捨てられるだろうか。