そゞろごと

noli me legere

鴎外の一葉評

鴎外という人は渋い小説ばかり書いている印象があるが、本質的にはロマンチケルだったと思う。たとえばこんな一文がある。

「恋愛小説を非とする論者に言う。いずれの世、いずれの国の書にてもよけれど、恋愛を度外に置きたる好小説あらば、作者の模範として示されよ」

というわけで、ロマンチケル鴎外は樋口一葉の作品をどう見ていたか。幸いにして彼は時評家でもあったので、一葉の作品についてもリアルタイムで短評を書いている。それらを順に見ていくと──

まず「わかれ道」について梗概を述べた上で、「作者一葉樋口氏は処女にめずらしき閲歴と観察とを有する人と覚ゆ。筆路は暢達人に超えたり」とある。ここで処女というのはもちろん未婚の若い女性という意味である。

「十三夜」については「わかれ道に劣らぬ作なり」とある。

「やみ夜」については「この小説は一たび或る日刊新聞に見えし旧稿なりという。されど其文には、今の健筆のおも影早くあらわれたり」とある。

「ゆく雲」については「翻雲覆雨の人ごころ、一葉が筆にこまやかなり」とある。

「大つごもり」については「一葉の旧稿にて、こたび新に修訂せしものなりとぞ。この作者のものとしては、優れたる際には非ざるべし」とやや手厳しい。

「通俗書簡文」については「(小説ではなくて実用書だから)ここにて評すべき筋のものにはあらねど、その著者は一葉なれば余所に見て過さむこと残惜しかるべし」とあって、どうやらこのころにはすっかりファンになってしまっているようだ。「世にありふれたる用文章の類と全く其選を殊にす」と持ち上げ、「いたずらなる形式に拘わらで、所感のままを筆にせよとの教いとめでたし」と手放しで賞賛している。

さてここまでがいわばプレリュードで、次にくるのが「たけくらべ」なのだが、これが書評としては破格の長文で(ほかのはたいてい一ページどまり)、いかに彼ら(鴎外と露伴と緑雨)がこの作に惚れこんでいたかがよくわかる。評者曰く、当節は不思議な小説ばかり多くなって眉をひそめていたが、「此作者の此作の如き、時弊に陥らずして自ら殊勝の風骨態度を見せる好文字を見ては、我知らず喜びの余りに起って之を迎えんとまで思うなり」と。

まあ、よっぽど嬉しかったんでしょうね、こんなあられもない鴎外の姿が見られるのは全集のうちでもここだけではないか。

書評の内容そのものはネットにあると思うから精しく書かないが、しかし文壇の大御所からここまで過大な評価を与えられた一葉はプレッシャーに苦しんだんじゃないかと思う。もっとも、それからしばらくして一葉は亡くなったようだから、プレッシャーを感じている暇もなかったろうけれど。

そのほかの作品についても鴎外は書いているが、やはり「たけくらべ」を超える作品はなかったらしく、あとは尻すぼみに終っている。

さて、冒頭に鴎外がロマンチケルであると書いたけれども、そんなことは彼のアンデルセンの「即興詩人」に対する愛着を見ればわかる。いまさららしく言うほどのことではなかった。