そゞろごと

noli me legere

二月二十二日は猫の日

父の遺した手帖の二月二十二日のところに「今日はにゃんにゃんにゃんとて猫の日なり、云々」という文があって、あの犬好きの父がこんなことを書くとは珍しいな、と思った。じっさい父は「猫なんぞクソの役にもたたん」とつねづね言っていて、うちで飼っている猫にも芸を仕込もうとしていたくらいだ。

犬派と猫派。両者はどこまでも平行線で、ついに交わることはないのだろうか。

ラヴクラフトのエッセイに「犬と猫」というのがあって、ここで彼は「私はことさら犬を嫌悪しているわけではない、猿や、人類や、黒人や、牛や、羊や、プテロダクティルを嫌悪しているわけではないのと同様に」と書きながらも、「しかし犬と猫とはどだい比較にはならない」と前置きしたうえで、猛烈な優劣論を展開するのである。ありとあらゆる面においてよくもまあここまで猫をもちあげたものだと感心する。とどのつまりは、「犬は百姓であり、百姓のペット、猫は貴族であり、貴族のペット」ということになる。

これは犬派が読んだら頭から湯気をたてて怒るレベルのエッセイだが、猫派が読んでもあまり心楽しくなるようなものではない。ここには猫派に特有の嫌ったらしさが満載になっているからだ。しかし今はそのことには触れない。

この論でおもしろいのは、美学的な見地から猫をクラシックと規定し、犬をゴシックと規定していることだ。でもって、もちろんクラシックをもちあげ、ゴシックをけなしているんだが、ラヴクラフト本人は自分のフィクションをクラシックの側に置いていたのか、それともゴシックの側に置いていたのか、ちょっと気になるところである。

この犬猫対比論にちょっと私見を加えれば、猫は成熟した女性であり、犬は未成熟な少女もしくは幼女なのではないか、と思っている。しかしこれについても今は詳細をはぶく。

それはそれとして、つい先日「きょうの猫村さん」という漫画(?)を発見した。知っている人にはいまさらだろうけど、これはおもしろいなあ、微温的な猫派の私にはうってつけの作品だ。猫村.jp ですべて見られるけれども、単行本として手元に置きたいと思ってしまった(もう少し値段が安かったら……)。西にバルテュスの「ミツ」あれば、東にほしよりこの「きょうの猫村さん」あり。

あと、猫といえばこの前買った漱石の「春の小話」にも「猫の墓」というのが入っている。これはもちろん原文でも読んでいるが、今回仏訳で読んで、最後のほうの娘の描写がとても可愛らしく書けているのに感心した。また漱石が猫の墓標に書いた句も《De cette terre, qui sait, un éclair jaillira dans le soir naissant》と、ちゃんと五、七、五に訳されている(厳密には五、八、五だが)。