そゞろごと

noli me legere

ネルヴァル「火の娘」

ネルヴァルは私が最初に親しんだフランス作家だった。フランス語を習いだしてしばらくしたころ、ポッシュ版の作品集を二冊買って読んだのがその初めだが、そのときはほとんどわけもわからず、ただネルヴァルのフランス語がすばらしく格調高いこと、物語の進行がどうにも捉えがたく、まるで夢でもみているような不得要領さだったことを覚えている。

あの二冊の作品集はその後どこかへやってしまったが、もう一度読み直したいとはつねづね思っていた。そして古本屋の棚に中村真一郎の訳した「火の娘」があるのをみつけて、急に懐かしくなってこれを買ったのである。「火の娘」とはいいタイトルではないか、私はずっと「火の娘たち」と複数形で覚えていたが。

さて読み出したのはいいが、なにか、どこかが違っている。いったいこの違和感は何だろう、としばらくは狐につままれたような気持だったが、ネットで調べてみてやっと分った。この訳本には通常版では冒頭に入っている「アンジェリック」がなぜか入っていない。ううむ、いったいどうして? 訳者の使ったテクストはアンジェリック抜きの版だったのだろうか。「アンジェリック」のない「火の娘」なんて気の抜けた麦酒のようなものではないか。

いや、それは言いすぎた。アンジェリック抜きでもこれはじゅうぶんにすばらしい。たとえば「シルヴィ」を読んでみるがいい。こんな小説の書き方をネルヴァルはいつどこで習得したのだろうか。これが十九世紀に書かれたとは信じがたい。二十世紀に書かれたとしても断然新しい。そしてこの小説のすばらしいところは、たんに書き方が斬新なだけでなく、それがいまでもまったく古びていないことだ。新しいものはえてして急速に古びてしまうが、ネルヴァルの小説は時空をこえた永遠の新しさに輝いている。

「火の娘たち」は千野帽子さんの文芸ガーリッシュ舶来篇のリストには入っていないが、入っていてもおかしくないし、ぜひとも入れてほしい作品のひとつだ。