そゞろごと

noli me legere

東西日記文学の両雄、ではなくて両雌

夏黄眠が樋口一葉の日記を褒めている。めったに他人を褒めないこの人がベタ褒めに褒めている。そこまでいわれたら読まずにはいられない。そこでネット古書で樋口一葉全集なるものを買ってみたが、着いた本をみてがっかりした。全集と銘打ちながら小説しか入っていない。小説ならばだいたい岩波文庫の二冊に入っている、それに私が読みたいのは小説ではなくて日記なのである。

為方がないので注文のしなおしをして、ちくま文庫の日記・書簡集というのを買った。これは厳密にいえば日記・書簡抄なのだが、そこまで一葉に入れこんでいるわけではないので、とりあえずは抄で満足しよう。

「さるはもとより世の人にみすべきものならねばふでに花なく文に艶なし、たゞその折々をおのづからなるから、あるはあながちにひとりぼめして今更におもなきもあり、無下にいやしうてものわらひなるも多かり。名のみことごとしう若葉かげなどといふものから行末しげれの祝ひ心には侍らずかし」

いまでいえばさしずめ「若葉かげ」とタイトルをつけて非公開でブログを書くようなものか。しかしこのスタイルには恐れ入る、まるで平安朝の女流文学ではないか。もっとも内容はいかにも女性らしく、随筆というよりは日記の性格がつよい。

日本人女性が日記に天分をもっていることは歴史が証明しているが、外国ではどうだろうか。以前から気になっているものにマリー・バシュキルツェフの日記というのがある。これはネットでも読めるが、ブログ形式(新しいものほど上にくる)で書かれているためにもとの順序で読むのが困難になっている。せっかくアップしてくれた人には申し訳ないが、これはやはり本を買って読むべきだろう。

詩人のヴァン・レルベルグがマリー・バシュキルツェフの日記に惚れこんで一文を草している。

「……マリー・バシュキルツェフは芸術を大いなる光芒とみなしている、彼女によれば神は自然そのものであり、ひとが信ずるのはもっぱら偉大なる神秘、大地や空やすべてのもの、パンの大神である。彼女の一生は光明への憧れそのものだ……」