そゞろごと

noli me legere

レルベルグの和訳と拓次の仏訳

一ヶ月間にわたる過去の亡霊との戦い。悪魔祓いはほぼ完了し、悪魔どもはあらかた召喚して瓶につめ、ソロモンの印璽で封印しておいた。中には十年以上取っ憑いている悪魔もいて、なかなか骨の折れる祓魔式だったが……

悪魔というのは根絶やしにはできない。できるのは瓶詰めにして封印することだけだ。なにしろ悪魔の数は厖大である。こうしているうちにも次々に新しい悪魔が私に取っ憑いている。だからときどき大掃除をする必要があるのだ。

そういえば、だいぶ以前のことだが、ハウスダストに悪魔が宿るというような記事をみて、なかなかうまいことをいうと思った。ハウスダストがたまる≒掃除をしていない≒精神も汚染されている≒悪魔に取っ憑かれる、という図式はけっこう核心をついているのではないか。

というわけで、とりあえずさっぱりしたところで新しい月のスタートを切ろうと思う。

いまのところ一番の関心事は大手拓次とレルベルグの周辺なのだが、拓次という人はフランスの詩にとてもあこがれていて、自分でも翻訳したりしている。そして原子朗氏もいっているように、それらの訳詩は「どれもあまりにも拓次の詩になっている」のである。これも私にはちょっとした驚きだった。

拓次がレルベルグを訳していたらいいのだが、どうだろう、そんなのはあるのかしらん。

レルベルグの訳詩は少数ながらある。厨川白村の「詩人ヴァン・レルベルグ」、堀口大学の「月下の一群」、山内義雄の「訳詩集」、斎藤磯雄の「近代フランス詩集」などに収められているのがそれだが、どれもこれも厭になるほどつまらない詩ばかりだ。どういうわけか「雨は妹」というのが人気があって、三人まで訳している。最初の聯を紹介すると──


わたしの妹、夏の雨、
あたたかい美しい夏の雨、
しめやかな空気のなかを
そつと静かに駆けてゆく。
  ──厨川白村


雨はわたしの妹、
夏にふる美(あえ)かな暖かいその雨が
しつとりとした空気のなかを
やさしく飛び、やさしく逃げる。
  ──山内義雄


「雨」は妹、
美しいほのあたたかい夏の雨、
湿つた大気をつらぬいて
しとやかに翔び、しとやかに去る。
  ──斎藤磯雄


拓次ならばどう訳すか。たぶんだけれど、こんなふうなのではないか。


雨よ、わたしのいもうとよ
うつくしい、あつたかい夏の雨よ、
おまへはしめやかに舞ひ、しめやかに遠のき、
しつとりと空をかすめてふりそそぐ。


ところで拓次の詩は仏訳されているのだろうか。そんなのがあるかどうかを調べる前に、自分で代表作(?)の「藍色の蟇」を仏訳してみた。でたらめの訳だが、せっかくだからあげておこう。もっといい訳があるよ、という方はどうぞコメント欄で。


Dans une chambre de lit
Parmi les trésors de la forêt,
Expirant des soupirs jaunes,
Un Crapaud d'un bleu foncé
Dessine une figure
Dans le sombre poêle humide.

Et voilà un Enfant! débile comme le bâtard de Soleil,
Avec les beaux yeux de raisins,
Qui va, qui va, bravement
Comme un chasseur de fantaisies,
Chaussant des brodequins mous de Kangurou.