拓次とレルベルグ
岩波文庫の「大手拓次詩集」読了。まいったなこの本は。私はこれを読んで、詩に対する認識を新たにした。いや、認識を新たにした、なんていう紋切型では収まらない、認識を刷新した、と正確にいうべきだ。こんなのは中学のときに読んだヴェルレーヌ詩集以来の衝撃だよ。
ほんとうに、この本はじつにいろんなことを教えてくれた。それと同時に、真正の詩人の凄みというものをうっすらと垣間見た。
垣間見たといえば、レルベルグの Entrevisions を「瞥見」と訳したのはどうも不十分だったようで、これはより適切には「仄かなる幻」とでもすべきものだ。
拓次はうたう──
われらはまことの心もてひたすらに合掌す、かなたの空しきなかにそびゆる神への祈りをこめて。
レルベルグはうたう──
歌よ高くのぼれ、その道が
虚空に消え去ろうとも
なお高くのぼれ、天のみもとへ
耳傾けたもう神のみもとへと。
拓次にしろレルベルグにしろ、その詩的乾坤の中心には「白くて暖かくて円いもの」がある。それこそは荘子が「道」と呼び、老子がとくに「玄牝」と呼んだものではないか。