そゞろごと

noli me legere

魂の導者

偉人や天才は尊敬して仰ぎ見るけど、居住いを正して深々と頭を垂れる、なんてことはないな。かれらは普通人のちょっとばかりスケールの大きいだけのものだからね。私がひれ伏さずにいられないのは、ヘレン・ケラー、中村久子、大石順教尼といった人々だ。かれらの生涯を youtube で次々に追いながら、私は完膚なきまでに打ちのめされてしまった。そして深々とこうべを垂れた。

いったい人間とはここまですごくなれるものなのか。かれらを前にすると、肉体と精神とはパラレルである、なんていう私の猪口才な考えはふっとんでしまう。肉体は不完全であっても、かれらの精神はもう神の領域に近い。肉体という牢獄、それももっとも過酷な牢獄に閉じ込められながら、なおかつその精神は高く高く舞い上がって天使や神と交通する。そのうつくしさ。

精神的に追いつめられたとき、私はかれらのことを思い出す。そしてわが身をかえりみる。どんなに困難なことでもできないはずはない、少なくとも可能性だけはあるのだ、と自分にいいきかせながら。