そゞろごと

noli me legere

モノとしてのココロ

せっぱつまらないとやらない、というのはせっぱつまらないとやめない、というのと同じだ。これは惰性(慣性)の法則で説明できる。物質は外力が加わらないかぎり動きださないし、動いているものは止まらない。

それは物質の話でしょ、心は物質とはちがうよ、といわれるかもしれない。しかし私は心も物質だと思う。そもそも肉体という物質がなければ心(精神)も存在しないものね。いずれは心理学と物理学とが融合して、たんなる理学に一元化されるときがくるんじゃないかな。そうなっても、人間のあり方は今とあまり変らないだろうけど……

というわけで、自分が変るとすればなんらかの外力が加わったせいだと思うしかない。そして外力のために変っていくのは、じつは変らないための唯一の方法かもしれないから、あまり依怙地になって外力に反撥するのはよくないんじゃないか、と思うようになった。

人間は一生を通じて変化しつづけることでしか同一性を保てない生き物なのだ、と。