そゞろごと

noli me legere

巨星墜つとも

フィッシャー=ディースカウ死す。

といっても、まったくなんの感慨もわいてこない。ふーん、死んだか、くらいのもので。それは私が彼の芸術にあまり親しんでこなかったこととは無関係だ。いったい私は他人の死にはいたって冷淡なのである。人々が他人(生前一面識もなかった人)の死を悼んで泣くというのがもう理解できない。自分が死んでもなるべくなら他人(親類知己をふくむ)には歎いてほしくない。へええ、死んだの、ふうん、といわれてすぐに忘れられるのが本望なのである。

ことにF.-D.の場合、生前にりっぱな為事をして、天寿をまっとうして亡くなったわけだから、いよいよもって歎くにはあたらない。ただ安らかに眠ってください、というのが正直ないまの気持だ。

ヴァン・レルベルグの詩からひとつ引用しよう。


百合と薔薇と木蔦の茂る
この大理石の下に
若くて死んだ女の子が眠っている、
愛と光そのものだった女の子が。

その晩、天使がやってきて、
額によろこびの印を置き、
眠った彼女を「死」がなだめて
永遠に若いままにしてくれたのだ。

だから、悲しむのはやめたまえ、
道ゆく人よ、行くがいい、人生は短い、
涙は死者を悲しませるだけだ、
彼女をとわの夢に憩わせてあげたまえ。