そゞろごと

noli me legere

閉ざされた庭

フォーレの歌曲集「閉ざされた庭」は、本来なら「仄かなる幻(アントルヴィジオン)」と名づけられるべきものだった。しかし彼はそうしなかった。なぜか。それは彼がこの「閉ざされた庭」という言葉に、自己の歌曲のもつ属性の一面を見たからに違いない。彼は「アントルヴィジオン」という総体から、「閉ざされた庭」という一局面を切り取ったのである。

では閉ざされた庭とは何か。それは端的に天国=楽園のメタファーなのである。

ウィキペディアその他によれば、楽園(paradise)という言葉そのものが、ある閉ざされた空間(それは庭の場合もあり、王国の場合もあり、また時によっては動物園の場合もある)をあらわす古い東邦の言葉(アヴェスター語)の pairi daēza に由来するらしい。楽園は古代の人々にとっては、茫漠とした天空ではなく、あくまでもこの世と地続きの閉鎖的な空間としてイメージされていたのである。

そしてその次にくるのが旧約聖書の「雅歌」の記述(第四章)。

あゝなんぢ美はしきかな
わが佳耦(とも)よ
……
わが妹わがはなよめよ
なんぢは閉たる園
閉たる水源(みなもと)
封じたる泉水(いづみ)のごとし

この一連の比喩はそのまま聖母マリアのメタファーとして後世に伝えられることになる。

この楽園と処女性との象徴である「閉ざされた庭」を「女の王国(Feminie)」という観点から歌い出したのがシャルル・ヴァン・レルベルグで、それを音楽的にあらわしたのがフォーレの歌曲集なのである。

フォーレの歌に耳を傾けていると、天上的ではない地上的な楽園のイメージがいっぱいに広がってくる。そこに見られるのは天使や神々ではなくて、暖かい太陽であり、野に咲く花であり、やさしい少女の笑顔である。