現代の日本に生れてよかったか
最近ときどき考えるんだけど、基本的には「よかった」と思う。
それにはいろいろと理由があるんだが、そのうち少し変ったのをあげてみると、現代の日本からはさまざまなものの「終り」がよく見えるから、というのがある。
この百年間にいろんなものが「終って」きた。なかでも私にいちばん興味があるのは芸術の終りだ。
こうもみごとに終ってしまった文化的産物もないんじゃないかな。アルス(芸)の系譜は現代にいたって芸術からお笑いへと変化した。かつては舞台俳優を意味したコメディアンという言葉は、いまではお笑い芸人を指して使われる。
あまりにもすばらしいバルトークの旋律、しかしそれは全曲中にただ一回だけあらわれて、二度とは繰り返されない。
いっぽう、現代では八小節ばかりの陳腐な旋律がかぎりなく反復されて一曲を構成している。
音楽のこの質的変化はまさに芸術の解体の見本ではないか。
この芸術の解体作業は、現代の日本という場所からいちばんよく見えるんじゃないか、という意味でも、現代の日本に生れてきてよかったと思うのである。