そゞろごと

noli me legere

精神のロンド

勤務時間の変動や社内のごたごたですっかり自分というものを見失っていたが、ここへきてようやっと本来の自分のあり方を取り戻すことができた。本来の自分のあり方、すなわち心と、精神と、魂と、肉体との中心がそれぞれぴったりと重なっている、ということである。この中心がずれるといろんな面で支障をきたすようになる。

ところで、心と精神と魂、と三つにわけて書いたのは、ふつうに精神といわれるものにも微妙に差異があることに最近気づいたからで、それぞれ英語の mind, spirit, soul に該当すると思ってもらえればいい。英語で書いたらよけいに分りにくくなるかもしれないが、じつは自分でもこの三つを正確に分析・定義することはできない。ただこの三つが三位一体のペルソナのように人間の内面を形作っているのではないか、と思うばかりだ。

三位一体、すなわち父と子と聖霊については卓抜な比喩がある。それは父を蝋燭、子を鏡、聖霊を蝋燭から発せられた光ととらえるもの。だれが言ったのか知らないが、じつに美しいイメージだと思う。(参照。ボロヴズィック「修道女の悶え」)

同様に、光というものを媒介として、心と精神と魂とが互いに調和しながらロンドを踊っているような状態が人間の精神生活においてはもっとも望ましい状態に違いない。


世界中で一番に美しいものは、
どれもみんな円いもの。
(シャルル・ヴァン・レルベルグ)