そゞろごと

noli me legere

教養主義

教養主義という近代日本独自の思想(?)があって、私などはそれに無関心ではいられない最後の世代かもしれないが、これはもしかしたら過去の一時期に出現した特殊な理念なんかではなくて、あらゆる時代のあらゆる潮流を貫いて持続するひとつの「常数」ではないかと思うようになった。

ここでその経緯を述べるつもりはないけれども、教養主義のひとつの特徴として、「明日は今日よりもよい」という楽天的な考え方があるように思う。よりよい明日をめざして今日を生きること、そしてその日々の積み重ねを無限に延長した先にある未来を信じること。

この点において、教養主義の理念は資本主義の論理と結びつきやすいのだが、それは私の関心事ではない。ただこの未来を信じるということ、極端にいえば「明日」を信じることは、「今日」の犠牲の上に成り立つものでは断じてない、という点だけを強調しておきたい。よりよい明日のために今日を犠牲にするのではなく、今日一日の成果がそのまま明日に結びつくという思考。

それを裏返していえば、今日を生きられない人には明日はない、ということになる。言われてみればそのとおりなのだが、このように教養主義には、アリとキリギリスの話が寓話として成立しないような地平に身をおくことを求めるラディカリズムがある。そしてこの面からみるかぎりにおいて、教養主義は過去のものではなくて、古今の歴史を貫く常数になりうるのではないか、と思っている。