そゞろごと

noli me legere

いそしぎからイソシギへ

ある人のブログでイソシギなる鳥を初めて見る。なるほど、これがあの鳥か……

いそしぎ、というのは私には非常に懐かしい言葉だ。映画の題で知ったのが最初だが、そのときは意味もわからず、「やすらぎ」とか「せせらぎ」とかと似たような造りの言葉だと思っていた。映画も見ていないのに、いや見ていないからなおさら、いそしぎという言葉だけが独立して強く印象づけられたんだと思う。いまでも「いそしぎ」ときくと、なんともいえない郷愁に似た情緒に胸はあやしく躍るのである。

私の脳内の辞書には、「いそしぎ=サウダージの一種」みたいな定義がおぼろげに記されている。

こういう印象がさらに強まったのは、「いそしぎのテーマ」(原題:the shadow of your smile)のせいもあると思う。これがジャズのスタンダードでもあることを知ったのはずっと後年のことだが、この曲はやはりジャズよりもムード音楽に向いている。というより、曲調がムード音楽そのものであるように思うのだが、どうか。

いそしぎが磯にいる鷸のことらしい、と知ったのはさらに後年のことだが、そのときは長年この言葉に抱いていた幻想がいっぺんでさめてしまったのを思い出す。いそしぎ=磯鷸。ああ、なんたる幻滅!

しかし事実を知ったあとも、上に書いたように、いそしぎという言葉に対する私の愛着は変らない。ひらがなで書かれた「いそしぎ」は、鳥の一種などではなく、私の脳内にだけあるサムシングに対応した言葉なんだと勝手に了簡している。

鳥のほうはイソシギあるいは磯鷸で。