そゞろごと

noli me legere

善なるもの一なるもの

辰野隆いわく、よきフランス人はよき日本人に似ている、と。しかしよきフランス人はよきアメリカ人にも似ているだろうし、よきインド人にも、よきイヌイットにも似ているだろう。つまり善人は世界各国どこでも善人なんだと思う。ことさらにいうべきことではないし、それだから善人はまったく目立たないのだ。

いっぽう悪人はどうか。これは千差万別、ひとくちに悪人といってもいろんな人がいる。例をあげればきりがないから以下略。

善が一なるものを志向するとすれば、悪は多様性のうちに拡散する。聖書に出てくる悪魔は「わが名はレギオン」といった。つまり無数のものの混成体である、ということだ。

このレギオンなるものが中国各地でわらわらと発生しているようだ。彼らは革命を志向しているのだろうか。革命を起さんとならばその身にデモンをもたざるべからず、とバクーニンはいった。血に渇するのはだんじて神々ではなく、複数形におかれた悪魔(demons)なのである。

中国の情勢、まだこの先どうなるかわからないが、もし万一革命が成功したとすれば、きっかけを作ってくれた日本よありがとう、と彼らはいうだろうか? それはまずないと思うが、もし失敗したら、こんなことになったのは日本のせいだ、ととがめだてる可能性はおおいにある。