そゞろごと

noli me legere

稲垣足穂とクトゥルー神話

足穂が昭和7年(1932年)に「新青年」に発表した「電気の敵」という小説(?)にはかなり鮮明にラヴクラフト色が出ているように思う。といっても、当時の足穂がアメリカからパルプマガジンを取り寄せて読んでいた、などというトンデモ発言をするつもりはない。ただ両者の関心が、ある領域において重なり合うものをもっていたのではないか、ということを示唆したいだけである。

「電気の敵」の内容をざっと述べれば──

   *  *  *

まず「地球全体にわたる気温の前代未聞の昇騰ぶり」が語られる。そのせいで植物は巨大化し、さらには天体にまで異象が拡大する。いまのところ太陽と月は大丈夫のようだが、「これらとて、はたしてどこまで信用されたものか、と思っていたら今晩だ。だしぬけに月がやられた!」

見れば月が真夜中の太陽のように火花を散らして欠けていき、その下の海の水平線はいちじるしく間近に眺められた。その光景は「堪えがたい荒涼感をともなった、しかし魂を魅する鮮明と立体感とをかねそなえたもの」である。「私」は父に「電気の配線に故障が生じたようだから調べてくれ」と頼まれる。

じつは月が異変を起す前、「私」は奇妙な為方で二人の旧友に会っている。梯子をかけなければ登れないような高い窓に、二人の友人が次々に現われたのである。「窓に、窓に!」

二人はいずれも白衣をきて、そのうち一人はひどくやつれていた。もう一人は父に挨拶してくるといって出て行ったのだが……

電気の異常を電気配給所へ知らせに行くため、「私」は自転車を出そうとする。とたんに背後から何者かに組み付かれる。それは妹だった。妹は素っ裸だった。性的に挑もうとするかのような妹の動きにてこずっていると、その有様をポーチから凝視している者がいた。父である。みれば父も素っ裸である。「私」は妹ともみあっているうちに不覚にも勃起してしまう。これではならじと妹を突き飛ばして自転車に乗ったが、気がつけば自分も一糸まとわぬ裸体になっているではないか。

いつのまにか月から発する火花はまわりの建物にも飛び火して、あちこちで火花が散っている。あたりにはもうもうと煙がたって、おびただしい群衆が乱交にふけっている。いずれも知らない顔ばかりで、みな先刻あらわれた友人のような白衣をきている。

坂をのぼって広場に出ると、すでに明け方になっている。「私」はほっとしながらも、妙な胸騒ぎを抑えきれない。それもそのはず、朝明けとみえたのは「云い知れぬ妖麗な色に輝いた彩雲」の層の反映であった。そして水平線上に「何か途方もない巨きな亡霊じみたもの」が姿をあらわす。

ここにいたって「私」は、この天変地異が地球規模のものであったことを知る。その元凶はなにか。「火星軍の襲来? いやいやそんな生易しいものでない。そんなたぐいを収容する時間及び空間を絶した、全然別箇の世界からやってくる何者かなのだ」

いまやあたり一面に火花が散り、「名状すべからざる臭気」がたちこめる。阿鼻叫喚に陥る人々の群。言い知れぬ圧迫を感じながら、「私」ははたと気づく。過去のすべてのできごとは、いまこの一瞬にひき起された幻影にすぎないのではないか。そしてこの異変も、すでにわれわれがよく承知していて、したがって年久しく待望していたところのものではなかったか、と。

「先刻の窓からの来訪者、また四辺を埋める奇異な群衆がすでに久しい以前墓の下に去っていた人々であったことに思い当っていた私は、水平線上に増加しつつある襲来者は──なお時計の針が順調に進みつつあるものならば──その長短二本が上方に重ならぬうちに、すなわち午前十一時とおぼしき時刻にはここに到達するであろう、ということが明らかに判っていた」

   *  *  *

読めばわかるように、これは夢をもとにした話で、その夢の熱度(強度?)が私にはひどくラヴクラフト的に思われるのだが、どうか?