そゞろごと

noli me legere

中国という国名

石原慎太郎は中国をシナと呼んでいるそうだ。彼によれば、中国とは日本の西の方の地方をさす。これと似たようなことを呉智英もいっていた。彼らはまるで中国は中国にあらず、という詭弁を弄しているかのようだ。

じつは私も中国といえばせいぜい中華民国以来の、つまり20世紀に入ってからの呼称であろうと考えて、それまでの長い歴史をもつあの国の総称としては支那(すなわちチャイナ)がいちばん適当なのではないかと思っていた。だって中国というと、中華民国あるいは中華人民共和国の略称のように見えませんか?

ところが、である。荘子を読んでいると、ところどころに「中国」という字が出てきて、「なかつくに」すなわち自国をさすのに使われている。私はこれを見て、中国というのが20世紀になってからできた略称なんかではなくて、紀元前からすでに使われている由緒正しい(?)言葉だということを知った。

もちろん現今の中国と、荘子時代の中国とでは、語は同じでも指す内容がちがう。しかしその違いは、石原氏や呉氏がいうような「中国は中国にあらず」といった詭弁的認識の外にある。中国という言葉は日本の西の地方をさすのみではないのだ。

とはいっても、私はやっぱり支那(シナ)という言葉が好きですね、字のかたちも、その響きも。