そゞろごと

noli me legere

饗庭篁村によるポーの紹介

日本で最初にエドガー・ポーの作品を訳出紹介したのは饗庭篁村で、明治20年11月に「黒猫」を、12月に「モルグ街の殺人」を、翌21年1月に「眼鏡」を、それぞれ読売新聞紙上に発表している。今回それのファクシミリを見て、その紹介の見事なのに感心した。数あるポーの短篇のうちから怪奇もの、探偵もの、ユーモアコントの代表的なのを選り出して並べたのは偶然とは思えない、かといって深い意図があったとも思えないが。

今日はそのうち私の知らない「眼鏡」(目鏡と表記されている)というのを読んでみた。ここに見られる飄逸な調子はおそらくその後日本で制作されたユーモアコントになんらかの影を落している。たとえば竜肝寺旻の戯作とか。こういうのはある程度古めかしい文体でやったほうが効果的だ。

恋のキューピッド役と頼む友人タルボットが急に行方をくらましてしまって途方に暮れる主人公シンプソンの述懐のくだり──

「斯く内々の承諾を得たれど表立ちていまだ推参もならずタルボットは如何にと尋ぬればまだ帰らず嗚呼其身の不在(るす)に朋友が是ほどの苦労をして居る事を知らぬとは何事ぞ推察せぬとは如何なる所存ぞとぢれの余りに長々しき手紙を出すと短かき返事に止(やむ)を得ぬ用事にて今四五日帰れぬ短気を出すな逆上(のぼせ)てはならぬ余り強い酒を飲むな哲学書を見て気を静めよとの意味なればシンプソンは其手紙を投げ捨て馬鹿者め此様(こん)な事を書く手間で紹介状でも認めろ畜生々々」

どこがどうとはいえないが、じつに味のある文ではないか。

他の二篇についてもいずれ感想を書いてみたい(ごく簡単に、あっさりと)。