そゞろごと

noli me legere

夜の詩人ではないかもしれないデーメル

河出書房の「世界詩人全集」にデーメルの訳詩がいくつか載っている。それらを読みながら、「夜の詩人」というエピセットはどうも私の早とちりではなかったか、という気がしてきた。ちなみにこれらの詩篇の訳者の一人は森鴎外である。

鴎外という人は徹頭徹尾散文的な人だったから、とうぜん訳詩も散文的である。散文的とは理に落ちるという意味だ。そしていうまでもなく詩が理に落ちてしまっては話にならない。彼は詩の翻訳には不向きな人だ。

それはともかくとして、きのうデーメルの詩集を発注したが、そんなことをしなくてもネットで彼の代表的な詩のすべてが読めることを今日発見した。遅かりし由良之助! まあうちにドイツ語の詩集が二冊くらいあってもいいんだけど、じゃまになるようだったら弟にやろう。

で、そのネットというのは Zeno.org というおそろしいサイト。古典的なテクストを次から次へと電子化しまくっている。とりあえずここを見よ、というわけでちらちらと見ていたが、あんまり「夜」とか「闇」とかいう感じではなさそうなんですよね、彼の詩は。それはたしかにそういう側面もあって、そういう傾向のものばかり集めたら「夜と闇の詩人」をでっちあげることも可能だが、そんなのはボードレールをさして「悪と頽廃の詩人」というようなもので、看板に偽りありもいいところだ。

さて上記の「世界詩人全集」では、デーメルの次にホフマンスタールの詩が出ている。で、この二人を比べてみると、もう詩人としての力量が天と地ほども違う(あくまでも収められている詩篇の上だけの比較だが)。やっぱりデーメルでは太刀打ちできないか、と思いつつ、それでもホフマンスタールに匹敵するようなデーメルの作品を発掘できればいいな、と思う。いまさらホフマンスタールを褒めたって為方がないからね、彼が偉大なのは天下周知のことだから。