そゞろごと

noli me legere

夜の詩人デーメル

ヴァン・レルベルグの名前がフォーレの歌曲のおかげで今日かろうじて命脈をたもっているとすれば、似たようなことはリヒャルト・デーメルについてもいえる。デーメルもまた「浄められた夜」をはじめとするシェーンベルクの諸作に歌詞を提供したことでからくも忘却の淵から浮び上っているのである。じっさい日本でデーメル詩集が編まれたという話はきいたことがない。しかも彼もまたレルベルグと同様、取るに足らない詩ばかり書いていたわけではないのである。

私がはじめてデーメルの詩を知ったのは、例によって白村先生の導きによるもので、彼の訳した「沼の上」という詩が非常に印象的だったのをおぼえている。


今いづくにありや、爾暗き声、
 なんぢ洞窟の声、
蘆と霧とをめぐりて耳語くは何ぞ。
 空中に、また草間を過ぎて、
 眼のごとく輝くは何ぞ。

開きたる戸に凭りし「夜」は、
 かつ嘆きかつ瞬く。
灰色の二匹の犬その前に立ち、
 耳かたむけて盗聴きす、
 そのひびきを、
 その誘惑(いざなひ)を。


さて、デーメルで検索していて、岩波文庫の「ドイツ名詩選」に彼の作品が取り上げられていることを知った。その詩がまたなんというか私の好みのツボを衝いてくる。

読んで愉しい記事 【快文書館】(仮) デーメルの詩

そんなこんなで彼の「けれども愛は」と「女と世界」を発注してしまった。ドイツ語はやめた、といいながら、こんなところで復縁したのは自分でも意外だが、まあ短い詩を辞書を引きながら読むくらいのことは私にもできる。レルベルグが昼の、光の詩人なら、デーメルは夜の、闇の詩人であろう。