そゞろごと

noli me legere

眠りは小さい死

眠っているのは好きだが眠りに就くのは嫌い、というのは矛盾しているだろうか。

眠りに就くのが嫌いなのは、おそらく眠りが一種の「小さい死」だからではないかと思う。寝る時間をずるずると遅らせているのは、死期の近づいた老人がなおも意地汚く生にしがみついているのと似たようなものではないか。

しかしいったん眠ってしまえば(死んでしまえば)これほど楽なものはない。いつまででも眠って(死んで)いたいと思う。

朝起きるのが嫌なのは、これも赤ん坊が生れてくるのを嫌がるのに似ている。赤ん坊の本音をいえば、いつまででも子宮のなかで眠っていたいのだ。産声をあげてピーピー泣くのは、この世という修羅場に出てきてしまった悲しみもあるのではないか。

われわれは寝るたびごとに死に、起きるたびに生れているのかもしれない。