そゞろごと

noli me legere

家庭小説について

黄眠道人が家庭小説について意外なところで長文のエッセイを書いていた。まあ彼はあまり正統的な文学史にはこだわってなくて、英国ゴシック・ロマンスなんかも好んで読んでいたらしいから、家庭小説を取り上げて論じていてもふしぎはない。ゴシック・ロマンスと家庭小説といえば水と油のようだが、両者は通俗読物というカテゴリーでひとつに括ることができるのだ。

それで思い出したが、昭和の初めに改造社から出た世界大衆文学全集というシリーズの内容見本がうちにある。これを取り出して眺めると、全36巻のうち6巻が家庭小説にカテゴライズされている。「家なき児」「放蕩息子」「オリヴァ・ツウィスト」「婚約」「アンクル・トムズ・ケビン」「ステラ・ダラス/ラ・ボエム」という内訳で、「家なき児」は家庭小説作家の菊池幽芳が訳している。あと「カチューシャ」(トルストイの「復活」)もこのカテゴリーに入れていいかもしれない。

さて、上記の黄眠の文というのは「明治煽情文芸概論」、ことに「家庭文学の変遷及価値」だが、これはぱらぱらと拾い読みしただけで家庭小説の何たるかがわかってしまうという優れもの。あまり精しく読んだら今後の楽しみがなくなるから作品の梗概や個別の論評は意識的に飛ばしたが、これを要するに家庭小説とは朝のNHKでやっていた(今でもやっている?)「連続テレビ小説」のようなものだと思えば間違いないようだ。現代作家でいえば宮本輝の書く小説がそれに該当するのではないか(このあたり適当に書いているので間違っていたらすみません)。

そういったものにはあまり食指の動かない私だが、明治時代のものや外国ものなら飛びついてしまうのは、やはり一世紀という時代の隔たりや地理的な隔たりによるところが大きい。この嗜好はエキゾチシズムやデペイズマンという言葉でけりがつくだろう。その時代、その国では陳腐だったことどもが、時空を異にすることによって驚異へと変る、その質的変化が私の興味の的なのである。