そゞろごと

noli me legere

草村北星「浜子」

心が弱くなっている。どのくらいかといえば、ベト9の合唱を聴いて涙ぐむくらいに。かつてはあれほどバカにしていた第九なのに……

それでもって「浜子」(明治35年)である。これは草村北星という今では知る人もなさそうな作家の書いた小説で、明治家庭小説集(筑摩書房)の巻頭に入っている。義理と人情との板ばさみを、若く美しいヒロインを中心にして描いたもの。二十三歳の若者の書いたものとは思えないような渋い出来だが、それが明治という時代だったのだろう。著者はミッションスクールの出身で、明治の家庭小説を一方から支えたキリスト教系光明派の隠然たる影響の下に……

いや、そんなことはどうでもいい、というかよく知らないので今後の課題にするとして、この小説に対する黄眠道人の評はといえば、当時出た他の人の小説と十把一絡にしたあげく、駄作凡作とまずきめつけ、北星の特色をセンチメンタリズムとした上で、わずかに「天外式写実小説を陋として立って痴鈍乍らも、純情に近いものが多少あったため」少しは評判を呼んだのだ、と書いている。痴鈍乍らとは言いも言ったり。まったくこの先生にかかっては救われない。

まあたしかに「浜子」を読んだあとで芥川の「秋」を読むと、通俗小説と芸術小説との違いがよくわかる。私としても後者をもちあげるにやぶさかではないが、かといって前者を否定し去ろうとは思わない。弱くなった心を心地よく慰撫してくれる何かがそこにはあるからだ。

そうだ、ひとつ書いておきたいのは、この小説には紛うかたなきサイコパスが登場する。この人物をもっと描き込んだら、べつな意味で(というのは家庭小説の枠をはみ出て)怪作ができたんじゃないかと思うが、そういうものは今の私の求めるものではないのであった。