そゞろごと

noli me legere

シャルル・ヴァン・レルベルグについて

Forvo というサイトがあって、ちょっとした発音を調べるのに便利なんだが、ここで Charles van Lerberghe の発音を調べてみると、フラマン語ではまだ上ってなくて、オランダ人が発音したものだけあった。それによると、チャールス・フォン・レアベアヘみたいな発音になっている。オランダ語ではRは母音化しないと思っていたが、そうでもなさそうだね。

まあ彼はフランス語で一生過した人だから、フランス風にヴァン・レルベルグでいいんじゃないかと思う。幸い日本での慣用もそうなっている。

さて、ユベール・ジュアンによる彼の評伝(セゲルス書店、P.A.)を読んで思うのは、この人の生涯がおよそ波乱万丈の正反対であることだ。高校のころ、メーテルリンクを初めとする同級生たちと詩を書き始め、やがてローデンバッハに認められて雑誌に詩や散文を発表するようになり、27歳のときに発表した戯曲「匂いを嗅ぐ人々」がいちおうの成功を収め(板に掛けられたのは四年後)、30歳近くなってから大学で哲学を学び博士号を取得、その後ヨーロッパの各地を遊歴しながら詩を書き、40歳でようやく定職(美術館の職員)につくもすぐさま辞職、その間何人かの女性に思いを寄せるがいずれも実を結ばず、45歳のときに友人(グレゴワール・ル・ロワ)宅で脳充血の発作を起し、ほぼ一年間の闘病生活を経て46歳にて死去。

なんとなく地味な人だと思っていたが、これほどまでに外面的なドラマのない人だとは思わなかった。もっとも内面のドラマに関してはジュアンの掘下げが浅いので、調べてみればおもしろいエピソードがもっと出てくるのかもしれないが、そこまでしようという人はあまりいないだろう。私がやってもいいけれど、資料を集めるのがめんどくさいやね。

しかし彼の一生はある意味で、意図的に自らを隠蔽した一生だとはいえないだろうか。私にはどうもそんなふうに思われる。それとも生れながらの詩人だった彼は、残された数少ない詩篇におのれの人格のすべてを投げ込んだのだろうか。もしそうだとしたら、彼の生涯から詩を差っぴいたその残りが精彩に欠けるのも理の当然というべきかもしれない。

最後に彼の名言(?)を引いておこう。

「男性が女性の高みにまで到ることはけっしてない。男はつねに上を見すぎるか、下を見すぎるかだ。男性とはクリトリスが異常発達した女性にほかならぬ、云々」